夕学五十講 「はやぶさ」と日本の宇宙開発


テーマ : 「はやぶさ」と日本の宇宙開発
講師 : 川口淳一郎
    宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究所 教授
    月・惑星探査プログラムグループ プログラムディレクタ


 慶応丸の内キャンパスの夕学(せきがく)五十講のセミナー"「はやぶさ」と日本の宇宙開発"に参加してきました。


 講師として登場した川口氏は、ノージャケットでネクタイはしてるけど、Yシャツの袖をまくり上げていて、なんか技術者感が漂ってました。
 講演では小惑星探査のための技術検証プロジェクト「はやぶさ」について、プロジェクトの開始から地球に帰還するまでの出来事を全般的に話されており、プロジェクトの全容がわかりました。
  ※ 技術的な話が結構ありました。
 プロジェクトの中で、幾度となく発生したトラブルで絶望的な状況に陥り、メンバーのモチベーションが下がりそうな時も、プロジェクトリーダーとして、メンバーを引っ張っていくための考え方と実践方法がとても参考になりました。勇気をもらえたという方が正しいかもしれません。この講演を聴くと、はっきり「日本の宇宙技術開発は2番目ではダメです。」とレンホーさんに言えると思います。


 そうそう、トラブルではやぶさとの通信が途絶した時に、何が一番怖かったって・・・年度末が怖かったと話されていました(笑)。真面目な話、翌年度に体制を維持出来るかどうかが一番心配したそうです。あと、通信が再開して、はやぶさの復旧を進めている段階で、動力部である中和器が心配で・・・中和神社という神社を探してお参りに行ったそうです。ウソのようなホントの話です。そして、あくまでも参拝はポケットマネーで実施した事であり、決して公費でやったワケではないと強調されていました(笑)。


 質疑を含めて、2時間近い講演でした。とても楽しく勉強になりました。



<以下、技術的な話とかのメモ(不足があるかもしれません)>
 はやぶさは、「探査」の究極段階である「サンプルリターン※」の技術検証のために作られた。
  ※ 天体表面の標本を地球に持ち帰る技術。


5つの重要技術の実証
 1. イオンエンジンを主推進力機関として用い、惑星間を航行すること
 2. 工学情報を用いた自律的な航法と誘導で、接近・着陸すること
 3. 微小重力下の天体表面の標本を採取すること
 4. カプセルを惑星間から直接に大気に突入させ、サンプルを回収すること
 5. 低推力推進機関とスウィングバイの併用による加速操作


 最初は小惑星イトカワではなく、別の惑星を目的としていた。
 2003年5月に打ち上げられ、目的地の変更があり、2005年9月に小惑星イトカワに着陸とサンプルを採取し、2007年6月に帰ってくる予定だった。しかし、トラブルがあり、帰還は3年後の2010年になった。


 2005年11月末に「はやぶさ」はトラブルにより、探査機の上面の第二科学エンジンから燃料漏れを起こし、通信途絶してしまった。そして、消息不明となった。
 そして当初、試料を採取するための弾丸を発射したと発表したが、実は発射されていなかった事が判明し、訂正の発表しなければならなくなった。
 このような事態で、「悪い情報の発信は、リーダーが責任を持って果たさなくてはならない。」と話されていた。


 消息不明となった後も、「ゴールはイトカワではなく、地球への帰還。」という目的意識がメンバー全員で共有されていた。
 そして、見失ってもいつかは、太陽電池で受光して、電力は確保できる。また、時期がくれば、無指向アンテナの守備範囲に地球くるはず。確率は60〜70%で必要条件は揃うと計算した。
 この時に、一番の脅威は、年度末」だった。体制を維持するために、復旧の可能性を計算しておく必要があり、そのための努力をした。
 そして、電波もこない、交信も出来ないので、エンジニアが徐々に減少していった。そんな中、復旧に向けて、可能性のある方策の検討会を意図的に増やした。アクションを出し、まだ可能性があることをプロジェクトメンバーのみならず、メーカー技術者にも印象づけた。


 方策のひとつとして、短いコマンドに分割して、どのタイミングでも受信できるように繰り返した結果、7週間後に、指令がすべて届き、「はやぶさ」からの電波が受信された。担当者でさえ、「夢でないかと」半信半疑だったくらい奇跡的だった。


計算できる事はすべて行った。行うべき事は行った。
あとは想定が正しいかどうか。これは「運」。
出来る事はすべてやりつくして、運を待つ。


 それから、はやぶさ自身に、姿勢を太陽に向け続けるように、指示をするなど、いわゆるしつけをした。そして、はやぶさに質問を送り、返事をもらうしつけを1ヶ月くらいこれを繰り返した。
 燃料が漏れだしてしまったので、キセノンガスのジェットを使用するための計算をした計算した結果、2010年まで運用すると、イオンエンジンの燃料(キセノンガス)が不足してしまう事が判明した。しかし、太陽電池の力を利用して、この状況を打開する案を実施する事にした。
 しかしそんな中、2009年11月に全イオンエンジンが寿命を迎えてしまった。これにもあきらめず、単独では正常に機能しないイオンエンジンAとBを同時運転する事により、2台を合わせて、1台の運用を実施した。
 動力部の中和器の無事を祈って、中和神社へお参りに行った。
  ※ これはポケットマネーで行った事であり、政教分離の原則に従って無縁。


 この時に、運以外の科学技術部分をいかに徹底したかどうかを確認するきっかけとなった。運を拾うのは当事者の努力であり、実力である。


 2台クロス運転試験時は、太陽からまだ遠く、2台運転は電力不足の危険があった。そして、実際に電力不足になったが、幸いにも、遮断機能が正しく作動したので、救われた。


 2009年11月 イオンエンジンの組み替え再起動に成功した結果、はやぶさを返す=燃え尽きる事を決断させなければならなくなった。


2010.5.12 地球が見えた。はやぶさよ。「あれが地球だ」


 はやぶさの帰還、カプセル分離までは、徹底的に電力をオフしていた。カメラも電源を落としていた。しかし、はやぶさが大気圏に突入して、燃え尽きる前に、はやぶさに地球を見せてあげたいという思いから、カメラを作動させた。
 撮影した7枚のうち、奇跡的に最後の一枚だけ撮れていた。完全ではないけれど。
http://twitpic.com/1wh78q



 最後は驚異的な精度で着陸。


 どうしても言わなくてはならないのは、日本の宇宙開発は「世界一」ではなくてはならないと思う。
 科学技術の進歩には、時間がかかる。短期的な視点ではなく、中長期的な視点で考えて欲しい。
 はやぶさが持ち帰った「証拠」がもつ本物の力をかみしめて欲しい。


プロジェクトを支えたのは、高い目的意識の共有に基づく、チームワーク力とモチベーションの維持だった。


主張したい数々の教訓
 技術よりも根性 技術あっての根性
 運を実力に変え、定着させる持続的な活動を
 未来に自身と希望を与える科学技術の発揮
 国民に、誇りと展望をうえつけるポリシーが欲しい
 高い塔を建てて見なければ、新たな水平線は見えてこない


未来とは未だ来ないもの。でも待っていても来ない。未だ来ないものは水平線の彼方にある。


<質疑応答(一部)>
Q. はやぶさ2(仮)には、どのように関わるのか?
A. アドバイザーとして入ろうと思っている。
  探査機が帰ってくる頃には、定年になってしまうので、人材育成のため、それまでに後輩に知識を伝承したい。


Q. 海外の大学には行ってしまうか?
A. オファーがないので、その心配はない。


Q. リーダーとして、メンバーのモチベーションを維持させるために、工夫した事は?
A. メンバーには、専門以外の分野にも、積極的に意見をしてもらうようにしている。


Q. 地球外生命体について、どう考えているか?
A. 絶対いると思う。細菌が生きられない環境を考える方が難しい。世界中の取り組みとしては、いる前提で進められている。


Q. プロジェクトを進めて行くうえで、人の入れ替わりが多かったと思う。工夫した事はあるか?
A. ベテランと新人のペアを組んでもらい、トレーニングした。技術の伝承は、経験。



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